安い仕事をやめた、のではなく整えたときの自分の気持ち

モヤモヤの正体

「安い仕事をやめる」と言うと、少し強い言葉に聞こえるかもしれない。

でも、私の中では
「やめた」というより
「整えた」に近い。

これまで、ある動画制作の案件をとても低い単価で引き受けていた。
正直に言えば、どこかでずっとモヤモヤしていた。

「ありがたいことだし」
「今は経験のためだし」
「続いているし」

そうやって、自分を納得させていたように思う。

でも、本当は。

我慢していた。

数字が教えてくれたこと

ある日、作業内容と工数を、ひとつひとつ書き出してみた。

どれくらい時間を使っているのか。
どれくらい頭を使っているのか。

感覚ではなく、数字にしてみた。

すると、2,500円という金額は
“制作”ではなく、お手伝いに近い“作業”の価格だと気づいた。

時間も、思考も、技術も使っているのに、そこに見合っていない。

そのとき、自分に問いかけた。

このまま、続けたい?

答えは、NOだった。

送信ボタンを押したあと

そこで、条件を整理し、プランを組み直し、こちらから価格を提案してみた。

提案内容文を入力して、送信ボタンを押したあと、少しの不安が残っていた。

ちづか

せっかく声をかけてもらったのに、申し訳ないかな。
案件、なくなってしまうかな。

でも同時に、気持ちの8割くらいが、スッと軽くなっていた。
時間が経つにつれて、その軽さは、どんどん100%に近づいていった。

ちづか

私はちゃんと前に進んだんだ。

と、思えたからだ。

執着より、軸を選ぶ

案件が続くかもしれない。けど、終わるかもしれない...。
正直、どちらに転ぶかわからなかった。でも、どちらでもOKだと思えた。

「モヤモヤしたまま続けること」を選ばなかった。
「安いけど、ある案件」よりも「自分にとって整った条件の案件」を選んだから。

もし、お互いに腑に落ちるところに単価が落ち着いて、
案件が続けば、
私は「単価を上げられた人」になる。

もし、終われば、
私は「自分の安売りを卒業した人」になる。

どちらに転んでも、前進だ。

仕事が「ある」ことよりも、
自分が「納得」していることのほうが大事

我慢して続けるより、整えて選び直すほうが、ずっと健やかだ。

返信はどう来るだろう。

少し波立つかな。
関係はどうなるかな。

そんな未来の不確定さが、ほんの少しだけ不安として残っている。

でも、安い仕事をやめることは、収入を減らすことではなく、

「自分を後回しにしない」
「自分の事業を、自分で守る」

という選択なのだと、思う。

モゼカノート。
今日は、これにて。

ちづか

ずっと小さくモヤモヤしていること、
それは本当に、続けたいものですか?